いよいよ今週は、天皇賞・春ですね。という事で、毎年この時期になると、ある一つの忘れられないレースがあります。
それが、1997年の「天皇賞・春」
このレースはもちろんレースとして本当に見ごたえがある、心に残るレースでありました。しかし、私にとってはまた別の意味で忘れられないレースとなったのでありました。
こちらは的中馬券のコピーです。
枠連2-4
投入金額500,000円
払い戻し500,000×4.2倍=2,100,000円
そうです、実はこの時が大口払い戻しになったのが初めての時でした。
ちなみになぜ枠連で買ったのかというと、馬連(4.4倍)と大してオッズが変わらなかったからです。やはり競馬というのは何が起きるかわかりません。思わぬアクシデントで不利を受けたとしても、同枠の馬が激走してくれれば、馬連は外れても枠連が代用で的中する事もあるからです。
もちろんレース直前で出走取消があるかもしれないので、締切ギリギリに買ったのです。
当時は右も左もわからない若造でした。窓口にマークシートと一緒に50万円を出すのはちょっとした優越感があったような気がしましたね。
なぜ、このような大金(当時の私にとって)を投入したかというと、それは自信があったからです。
もう、トライアル(前哨戦)の段階からほぼ各馬の力関係はわかっていました。
「マヤノトップガン」が阪神大賞典を勝った時点で、この馬が春の天皇賞で来るのは間違いないと確信しました。
そして「マーベラスサンデー」が大阪杯を快勝。この馬が大阪杯を勝つのもわかっていました。そして、2000mの勝ちっぷりから、本番の3200mでは距離が持たないという事もわかっていました。
ただし、マーベラスサンデーの鞍上は「武豊」当時は全盛期といっても過言ではないです。特に長距離戦の安定感は群を抜いていました。
例えば、1994年の天皇賞・春では、長距離血統のムッシュシェクルを中距離血統のナリタタイシンで交わしきっています。
最後に「サクラローレル」。
今回は有馬記念からのぶっつけですが、この馬の能力が抜けているのは間違いありませんでした。いくらぶっつけでも3200mでこの馬に太刀打ちできる馬は皆無に近いと言ってもよかったのです。
トライアルが終わった時点で、
マヤノトップガン>>>マーベラスサンデー
この力関係はハッキリしていました。
そして「サクラローレル」をどうするのか・・・
ちなみに「マヤノトップガン」の鞍上は田原成貴。騎手人生では晩年でしたが、レース数を絞ってキレっキレの騎乗・・・まさに狂気とも思える騎乗を見せていました。
そして「サクラローレル」の鞍上は横山典弘。当時はもう関東の騎手では、ダントツにG1での騎乗ぶりが目立っていました。サクラローレルで1度、1996年の天皇賞・秋で残念なレースがありましたが、それは2000m。今回の舞台なら不安はありません。
つまり「マーベラスサンデー」を負かす2頭はもうハッキリしている。これが結論でした。
当時は3連複、3連単という馬券は存在しませんでした。純粋に馬連で勝負するため、レースの中で2頭にさえ絞れればあとはどうでもよかったのです。
そして、「サクラローレル」はぶっつけなので、やはり勝つのは「マヤノトップガン」だろうと思いました。
正直に言いますと、この馬券を購入する前後、そしてレースが始めるまで不思議と緊張感はありませんでした。もちろん、こんな大金を1レースに投入するのは初めての経験でした。
しかし、何ヶ月も前から各馬のここに至る過程がハッキリ読めていたので不安はなかったのです。
当日は、私がいつも馬券を購入し観戦していた「東京競馬場」で馬券を購入しました。その時、競馬場内が混雑していたかどうかというのは、実は全く覚えていません。
そしてレースがスタートしました。
実はこうやって、レースの動画を見ると実際にリアルタイムでレースを見ていた時の印象とはかなり違う印象を受けます。
マヤノトップガンはわりと良いスタートを決めますが、掛かるのを恐れてかあまり前々に行こうとしませんでした。
そして、そのうちにサクラローレルにやや交わされていきます。マーベラスサンデーはローレルをぴったりマークといった感じでした。
実はレース途中までの記憶というのはあまりありませんでした。
ただし、3コーナーから4コーナーでサクラローレルが早々と仕掛けて先頭に立ち、それをマーベラスサンデーがぴったりマークして2頭が抜け出して来た時、
ここで初めて背筋が凍りました
あれっ??なにかおかしいな
この2頭で決まっちゃう・・・
トップガンは、トップガンはどこだろう?・・・
実は、私はマヤノトップガンの位置を途中から見失っていたのでした。
サクラローレルが抜け出すのは、正直わかっていたのですが、思っていた以上にマーベラスサンデーの脚色が良い。
そして最後の直線。
もしかして、もしかしてこれはダメなんじゃないのか・・・
正直、90%あきらめムードでした。
というよりも圧倒的な絶望感に襲われていたのです。
そしたら、大歓声とともに実況のアナウンサーの声が響きわたります。
外からマヤノトップガン!!
ここで我に返りました。ああ、来てる、来てるよ・・・!!
そして最後のゴール前では私は飛び跳ねながら絶叫していました。もちろんレースは京都競馬場で行われているのですが、私は東京競馬場のモニターの前でまるで幼児のようにぴょんぴょんと飛び跳ねていたのです。
競馬をやっていてこれほど嬉しかったのは、これが一番でした。もちろん金額もあるのですが、一度絶望を感じたのにそれを覆してくれた・・・
このレースと似ているのが、2013年の天皇賞・春ですね。
1着 フェノーメノ
2着 トーセンラー
5着 ゴールドシップ
ちょうど、4コーナーで抜け出しをはかるフェノーメノとトーセンラーが、1997年のサクラローレルとマーベラスサンデーとぴったりリンクします。
普通ならこの2頭が抜け出して、レースが決まるのですが、やはりマヤノトップガンは異常です。
あの抜け出した2頭をあっという間に交わしさってしまうのですから・・・ゴールドシップは同じ事をするのは流石にできませんでした。
そして、レースが確定し、生まれて初めての大口払い戻しです。まずは忘れずに、的中馬券のコピーを取って・・・
そしていつもの機械の払い戻しではなくおばちゃんがいる、有人の大口払い戻しへ行きます。
もちろん私以外誰も客はいません。
やや緊張しながら、的中馬券をおばちゃんに差し出します。
そうすると、馬券を受け取り、おばちゃんは奥に行きます。そして、少し待たされ封筒に入った200万円を越える札束が出てきました。
いわゆる「帯封」というやつですが、残念ながら、その封筒やお札を束ねるものなどは無くしてしまいました。現在手元にあるのは、的中馬券のコピーだけですね。
その時の心境というのは、嬉しかったのはもちろんですが、興奮するというよりも、何か成し遂げたなという達成感の方が大きかったです。
やはり、リアルで札束が出てくると現実感があります。
レース直後の興奮がだんだんと覚めていって、じわじわと達成感が現れてくるのです。
そして、もう最終レースなどやらず、とにかく家に帰ろう、と思いました。
いつもは、JR武蔵野線の「府中本町駅」を使っていたのですが、さすがにこんな若造が大金を持って電車に乗るのは怖かったのです。
東京競馬場のタクシー乗り場から、タクシーを使う事にしました。幸い、まだ最終レースが終わってなく行列もありませんでした。待っていたタクシーに飛び乗り自宅へ直行です。
確か、金額は4~5,000円ぐらいでしたでしょうか。支払いは1万円札をだして、タクシーの運転手には、お釣りはいらないと言ってタクシーを降りました。
まあ生意気な若造かもと思われたでしょうが、なにかこの幸福感を誰かと共有したいという気持ちもあったのでしょうね。
あれからもう約20年が経とうとしています。
そして数々の経験もしました。
しかし、あの「1997年の天皇賞・春」というレースは、私にとって1番の良き思い出のレースでもあり、信じられない興奮を与えてくれたレースなのでした。
あの時の記憶はいつまでも色褪せないですね・・・
▼天皇賞・春(G1) 京都 1997年4月27日(日)
天皇賞(春)|1997年04月27日 | 競馬データベース - netkeiba.com
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